12/25/2009

印象的な2つの写真展+α素晴らしかった2つの展覧会

この秋見た多数の写真展の中で ①安斎重男展と ②杉本博司展は突出して印象的だった。

① 安斎が40年近くかけて撮り続けた内外のアーティスト達を対象とした作品が多摩美の図書館や美術館で数百点展示された。

ひとつの主題を撮り続けた氏の作品群がこんな形で一堂に展示されると、永年かけてこの仕事に一途に懸けた安斎重男の世界が見事にうき上がる。

数百人に及ぶアーティスト達のもつエネルギーと、かくも長きに渡ってそれを継続した安斎の執拗性が今や年代物のワインの様にたまらない香りを放つ。

② 杉本のここ数年の仕事はイメージを含んだ物質としての写真を氏の美学で並べ変えるという行為のように思う。宇宙から飛んで来た隕石や歴史の中の古美術や行為(能)など。氏の美学で並べ変えるという独創性(奇行)によって成立している。

安斎のアーティストドキュメントという写真の用い方が写真の属性の中に収まるのとは対照的に、杉本はタルボットのネガを高価な価格で自ら買い取り、オマージュ“タルボット”を創り出している。特殊な製作技法も発明家タルボットの遺産を相続している。

静岡県の三島からタクシーで3千円かけて入った山里の美術館(IZU Photo Museum)のオープニングで本人の説明を聞きながら作品を見ていると、彼の様な人物は日本の写真界からは2度と出ない異端者の様に思われ、私の抵抗感も消失していく。


P.S, それから数日後、荒木経惟から一冊の写真集が署名入りで届いた。“東京ゼンリツセンガン”。本人が対決している病気のタイトルである。しかし、そのページをめくるといつも以上に氏の体臭を感じる映像の数々、誰よりも生きている人間を自由に撮りまくっている。この国の写真は安斎、杉本そしてアラーキーのような人達が中核にいるので活々とした生命力を持ち続けているのだと思う。


10/01/2009

魔王

先日、雨の中、郊外の家路に向かう私の耳に、エルケーニッヒ(魔王)の歌が聞こえた。近くの音大の学生だろうか。久し振りに耳にする、そのシューベルトの曲に、全身が震えた。
このゲーテの詩は、不吉、不安、闇、そして恐怖で満たされているにも関わらず、聴く者の魂を根底から揺さぶる。
何故だろう?
自然の摂理と人間社会(政治や経済)の、矛盾と亀裂の中から、突如として発火して燃え上がる、この煌めき。
私は、思った。
これこそ、芸術の原点ではないだろうか?

いま、コンテンポラリーアートにたずさわっている作家、評論家、学芸員、美術商、そして収集家で、こんな煌めきを体験できる人は、幸いである。

追伸 :
このブログを書いている時、日本の代表的バリトン、中山悌一の訃報が入った。
この曲を歌う氏の事を、私は印象的に記憶している。


© He Min(フーミン)
「左岸」175×210 cm


賀敏 作品展 『它城 Off City』
2009年10月2日(金)〜10月27日(火) 日・月・祝日休廊
開廊時間:10:30〜18:30(土〜17:30)


9/12/2009

芸術の秋は来た!

リーマンショックや、経済の自己調整作用が、アジアの国々に暗い影をおとしている時でも、芸術の秋はやって来た。

200の展覧会が、一斉に花開く上海に行った。すでに、10年以上前に出来た、ここの芸術家集団村(モーガンシャンルー)では、9月6日に300人以上の芸術愛好者達がアトリエやギャラリーに集まり、深夜まで芸術論を愉しんだ。写真の展示スペースも、この1〜2年に急増した。

なお、私の目に止まったのは、若手のアーティストで組織されている中国抽象画家集団のグループ展であった。丁乙、陳、それに上海美術館館長の李磊等の作品は、全て快かった。固い感じもするが、完成度は高い。

今回、私が上海に出掛けた最大の目的は、この秋、新設された芸術地域に創立した、民生美術館のオープニング出席である。これは、若い銀行の頭取が建てた現代美術館で、その副館長は友人の画家、周鉄海が務めることになった。氏は、中国のみならず、日本や韓国に知人も多く、作品を収集するのは最適な人材なのだ。無機質なコンクリート打ちっ放しの空間に作品が点々と置いてある。オノデラユキや小野裕次、それとアキ・ルミの作品も展示されていた。

内部に泥水を満杯にした、サビた大きなバンが乗り入れられて放置されていたが、それも中国若手による作品だった。その傾め前のニューギャラリーでは、日中の3人展があり、準備中である。しかし、あまり多数の作品が一斉に上海税関に集まったので、通過に時間がかかり、オープニングに間に合わないとか・・・。ここいらが、中国の行政の後進性だが、それを嘆いても仕様がない。山脇紘資という若手画家は急遽、ギャラリーの壁面を使って、大作の油彩画を描いた。2日間の徹夜仕事だ。

先週、私は、安斎重男写真展が開催されていた上海美術館を尋ねると、主任から呼び止められ、同展が、北京にある中国美術館(国立)にも巡回する事になった事を聞かされた。北京の館長が同展を、えらく気に入ったためだと言う。安斎の主題〝世界現代美術の巨匠達〟が、いまの中国の現代美術界にとって、good timing だったのであろう。

次の日、最初に、ツァイト・フォトのオフィスがあった、モーガンシャンルーのカフェにコーヒーを飲むため立ち寄った。2人の旧友(アーティスト)に会った。
張恩利と丁乙だ。
12年前、彼等の作品をここで買った時、2人ともリアカーに画材をつんで来てアトリエに入り、そこで作品を制作していたのだが、いまはポルシェとBMWを使っていた。作品が順調に売れ始め、金持ちになったのだろう。
でも、彼等は12年前と同様、否や、それ以上に真剣に作品制作にせっせと取り組んでいた。
流行作家が冒す過ち、即ち自分の人気テーマを何年も繰り返すということなく、作品を前に進めている。退廃がない!ブラボー。
彼等の作品をディーリングしているのは、スイス国籍のロレンツだ。彼もよく働いている。
中国人の良きギャラリストが出るのも、それ程時間がかからないだろう。

終わりになったが、東京・六本木で開催された、我が国で最初のフォトフェアー " TOKYO PHOTO 2009 "について、少し書いてみたい。
若い原田という門外漢が着想したこの企画は、最初は多くの問題があり、従来のフォトギャラリーからは、敬遠された。僕も、アドバイスはしたものの、参加は躊躇した。
しかし、直前になって、参加を決めた。若い世代が情熱をもってする企画には、寛大であるべきだ、と考えたからだ。いざ、フタを開けてみると、初日から予想以上に多い Visitor が会場に足を運んだ。若手が多い。六本木という地のりも幸いした。
彼等は、作品のコレクターというより、知的でファッショナブルな観覧者だ。

30年以上、写真のディーラーとして動いている私には、これ程沢山の若い人達が、興味をもって、作品に見入っている事は、感無量であった。日本の写真家も、この数年、欧米やアジアにおいて、高い評価を得る人達が増えて来た。スケールのあるコレクターも、少数ではあるが出て来た。
今回の、フォトフェアーでは、実売は予想を下回ったが、こんなに多くの若い人達が、会場に足を運んでくれた事を考えれば、大成功である。
ローマは、一日にして成らずである。

ツァイト・フォト
石原


上海新芸術地区での三人展

© Yuichi HIGASHIONNA

© He Jie

© Kosuke YAMAWAKI

© Zhou Tiehai

© Aki LUMI

© Yuji ONO

8/18/2009

ギャラリストのお盆休み

お盆休みだというのに、美術館や展覧会をまわった。

国立近美で見たゴーギャン展。
彼は34歳で、株でお金を儲け、画家に転業した。
その数年間、初期の作品の美しい事。高名な印象派の作品でさえ比類出来ない程美しい。晩年の大作「我々はどこから来たのか」は、画面が暗くてテーマも懐疑的で、私には楽しめなかった。

横浜美19世紀フランス展は、土曜日なのに大混雑していた。
若い人達は皆メモをとっている。皆、将来絵描きになるのではないだろうが、若い時にこんな芸術体験はとても貴重だ。思い出すには僕が中学生の時、鎌倉近美が出来て、そこにヨーロッパの若い作家の展覧会を見に行ったのは、本当に心が高鳴った。

また、都内で偶然に立ち寄った東日本橋の画廊で、若い作家の作品が気に入って、100号を求めた。お盆休みが私にくれた幸運である。

それからもうひとつ、友人から、若いピアニストの演奏会につき合わされた。
モーツァルト、ベートーベンの作品がメインプロであったが、氏のピアノは、かつての輝きを失って、演奏自体がグニャグニャに響いた。

この時私は、パリで聴いた内田光子のモーツァルトの演奏の、あの大きな感動を思い浮かべた。
彼女は、日本で演奏会を開いても、それが終わるとすぐに英国に戻ってしまう。

やはり、洋楽というのは、個人と個人が対立するような精神的風土がないと、維持出来ないものなのであろうか。芸術は厳しい。

8/05/2009

東川町フォトフェスタ25周年展

8月1日に、北海道の東川町フォトフェスタが25年を迎えた。主催者側の努力が最大の理由だが、それに関係する若い審査員達が有能であったから、こんな永い間続いているのだと思う。

今回、私は柴田敏雄の受賞もあって参加したのだが、若い町長も運営スタッフも実に誠実かつ熱心である。

1986年に国内作家賞を受賞した篠山紀信さんと会場でお会いした時、
"この会もあと何年続くだろう? 2年か5年続けば良い方だな"
などという、悪い冗談を言い合ったものだ。

国内作家賞というのは、植田正治、杉本博司、そして今回の柴田敏雄でも、作家自らの実力で既にグローバルな地位を築き上げている写真家達への追認的行為もあって、これは誰でも異議のない事と思うが、私が興味があるのは、新人作家賞を受賞した人達が今現在、どんな形で活躍しているかという事だ。

佐藤時啓、松江泰治、オノデラユキ、金村修達の息の長い活躍振りをみると、フォトフェスタの選考が、合格点をとっていた事が判る。

東川町の写真祭に続いて、最近では全国各地で写真コンクールが増えてきた。東川町の精神を受け継いで欲しいと願うのは、私だけではあるまい。



© Toshio SHIBATA

© Yuki ONODERA

© Tokihiro SATO

「時代の相対性」への反論

前回のこのテーマに関して異議を受けた。

それは”1930年オタク”にならず、今の若い演奏家の実演にもっと耳を傾けろと云うのだ。少し複雑な気持ちだ。

私としても精一杯生演奏を聴いている。特にドイツやフランスで仕事していた時は、一生懸命になってチケットを入手した。ズイトナー(ベルリン国立歌劇場オーケストラ)、アバド(ベルリン・フィル)、そして少し古いところではヴァント(西南ドイツ)だ。

例の三羽ガラス、バレンボイム、アシュケナージ、インバルも度々足を運んだ。インバルなど、ケルンから東京までルフトハンザの隣席にいて、マーラーのNO.5の話を拝聴し、そして語り合った。(日本で読売交響楽団を指揮して同曲をプログラムにあげた。)
しかし、彼等の演奏にはズイトナーやアバド、そしてヴァント等の演奏で体験したクラッシックを聴く事の至福感はなかった。

まして現在の若手(特に日本)諸君のオーケストラ指揮は退屈だ。やたらと丁寧だったり又は反対にスポーツマンの様だったりして!!

作品の誕生した時代との距離が、彼等の演奏を無味乾燥にしてしまったのだろうか?
その点、小澤征爾などは日本人としては傑出した指揮者であったと思う。
パリや東京で彼の音楽会に度々足を運んだ時、どの演奏も心から楽しめた。

こんなこともあって、私は1930年代を心から愛し、その忠実な再現から芸術心を今も学んでいるのだ。

7/31/2009

時代の相対性? ~昔よかったものでも、いまやポンコツ~

1950年代のアメ車は、いまや、殆どオシャカだが、
形の美しいスチュードベーカやシボレーは、エンジンが健在なら、
美しきクラシック車となる。

性能は、いまのハイブリッド車や電気自動車に比べても落ちるが、
品格は数段上だ。

私事で恐縮だが、自分は1930年代のSPレコードの美しさに魅せられて、約40年間、世界中を巡って、2000枚の貴重版を収集した。

当時のブルジョア達は、クレデンザやビクトリアといった蓄音機・再生機材で、これらを聴いていたのだが、いま聴くと、レコードに録音されている音の7割程度しか、引き出せていない。

これを、100%引き出して鳴らしてみたいという願望に、私と友人の技師は取り憑かれた。

〝21世紀に、100年前のレコードを完全に鳴らす方法〟に取り組む事、15年。
イコライザーと、斬新な集積回路(コンピューター操作)のアンプの制作を経て、合格点を与えられる再生装置が完成した。

早速(栃木県美のホールにて)A・コルトーのショパンのソナタ3番を聴く。初めて耳にするコルトーのショパンの発音、そしてテンポ・ルバートの効いた、まぎれもない、あのコルトー。

1930年代は、クラシックの最初で最後の黄金時代。
ワイマール後期に起きた天才達の時代だ。
ギーゼキングの、ノイエ・ザッハリヒ・カイトの演奏の素晴らしい事。

今まで、音楽評論家はこんな音を耳にすることなく、一体何を聴いて批評を書いていたのだろうか。
不思議である。

ツァイト・フォト 
SPレコード研究室 石原

7/21/2009

芸術とENERGY

栃木県立美術館で観た、日本と中国の現代写真家達の作品展は、中国側の圧倒的なENERGYの前に、日本の第一線の作家もタジタジであった。

写真に関する細かいテクニックや、素材の使い方に関しては、
日本の方が一歩も二歩も進んでいるのに、何故なのか?
そこに同席したA学芸員は云った。
「被写体自身に原因があるのでは・・・。」

少し立場を変えて、音楽の場合であれば、どうであろうか?

同一の演奏家(ピアニスト、バイオリニスト、指揮)でも、
取り上げる作品が、作品として完成度が高いものであれば、
我々に伝わる感動は大きいのであろうか。
ジュピター、パストラル、シックザル・シンフォニーに関して、
誰でも感銘を覚えるのは、我々が体験している事だ。

いま、日本の青年達は、植物的であると云われている。
配慮的で気遣いはあるが、いざという時、その軟弱性は拭いきれない。

「強い男性」は、いまや幻か?
否、これは日本だけの現象で、他のアジアの諸国では強い力の男に出会う。

これはきっと、日本の政治経済、それに伴う文化が、大きなダイナミズムを欠いているからだと思う。


© ANZAI  "Joseph Beuys"
8 月下旬より、上海美術館にて個展開催予定。

7/08/2009

絵空事!されど我等が愛、もっと美術館に行こう

①ネオテニー・ジャパンー高橋コレクション(上野の森美術館)
②中国現代美術との出会い(栃木県立美術館)

①の高橋コレクション展(幼形成熟)を二回見た。
氏は、空白の十二年間(公的機関のコレクションが、殆どなかった時期)に、一人で膨大な日本の若手作家のコレクションを作った人だ!
でも、この収集作業は、氏一人ではなく、評論家や画商の力を合わせて、なされたものと推察された。
②の中国現代美術のコレクションは、偶然にも同時期になされているが、それはギャラリスト一人の目でなされたものだ。上海、北京、重慶、広東などのギャラリーや作家のアトリエを一つ一つめぐって、買い集めている。
日本と中国は、この数十年間をとってみても、その芸術史の展開が、色々な意味で異なっているので、この二者の収集作品の比較論は、あまり意味がない。
高橋氏は、精神科医らしく、一点一点に埋没する事なく、冷静にコレクションしている。
それに対して、②のギャラリストは、約四十年間の欧州でのコレクションの体験から、作品一点一点に、強い思い入れをもって、収集に臨んでいる。バトミントンの試合が出来る様な中国作家の広大なアトリエを訪問して、多数の作品から、自分が惚れ込んだ巨大なタブローを選び出すことが、快楽なのである。
私が高橋コレクションの主要作品から感じた事は、みんな絵が上手で、独特のテクニックをもっているという事、例えば会田誠などが、その代表である。これを、同行したフランスの評論家は、デカダンと言ったが、日本には、退廃美という言葉が示すように、完成度が高ければ、これらを受け入れる事は、やぶさかではない。
それに比べれば、中国の作品は、とにかく大きく、アッケラカンとしている。
その最終的評価は、時間が決めてくれるだろう。日本と異なり、モダニズムを体験しなかった中国作家達は皆、各々の方法で、その空間を埋めたり、又は混乱を生じさせている事も興味深い。

ついでに、ルーブル美術館展(大阪国立国際美術館)と19世紀フランス絵画展(横浜美術館)について一言。
前者は、ルーブルにやられた。内容は乏しく、ルーブルという名前を巧みに使って、客を動員させたもの。
内容的には、横浜美術館の19世紀フランス絵画展の方が、断然充実しており、是非足を運ぶことをすすめます。
保守派と革新派の対立構図の中に、フランス19世紀を浮き彫りにする企画力が、魅力的である。


会田誠 大山椒魚 2003 / 高橋コレクション

馬六明 Baby '98 No.9 1998 / ツァイト・フォト コレクション

4/21/2009

北京へ

 "芸術文化は経済、政治と云った下部構造の土に築かれる上部構造なのだ" とかつてマルクスは述べている。私はこの数日、北京の芸術家村やアートフェアに参加して、この言葉の意味を考えていた。

今回のアメリカ発の金融危機は、ほとんど世界中の国の経済体制に恐怖を与えているが、芸術の分野でもその危機感は大きい。
但し、ここに興味ある事がある。最近の中国の現代美術市場は、異常な程過熱し、有名アーティスト価格はバブルそのものであったのだが、この金融危機の直撃によって、全てがResetされた様だ。

一点が一億円と云われる数人の作家の価格は下降し、反対に自分を見失う事なしに、作品の良質な完成度に留意していた作家の作品価格は、むしろ上昇している。

それにしても、中国の現代美術はこれからも目が離せない状況が続くだろう。

ツァイト・フォト
石原

He Min
no name, 2009, 215×330cm, oil on canvas


Zhou Tiehai
Water, 2001, 168×127cm, scrylic (airbrush) on canvas


He Jie
救世主毛, 200×200cm, oil on canvas

3/14/2009

島根県立美術館へ

"フランス絵画の19世紀"展を見た。

本展は大胆な企画で、19世紀の保守派のアカデミズム派と革新の印象派を真っ向から対峙させる事によって、作品観覧の新しい視座を示すものであった。

当時としては、批判されたクールベの裸婦の隣の壁面には、ボードリーやデュバル、あるいはカバネル達のローマ賞の画家の作品が掛かっている。

Gustave Courbet

自分でも驚いた事にクールベ(1858年)のこの裸婦が、
こんなに生々しくセクシーに見えるのだ。

アラーキー裸婦同様にMIDARAでさえある。

それに比較すると、デュバルやカバネルの裸婦はまさに新古典主義(ギリシャ美学+ローマ賞的技法)であり、前者のタッチの荒々しさと比較すると水をうった様に静謐なマチエールである。

しかも神話の世界に守られている。

本展を看る人は印象派テーマの闊達さと、色彩の自由奔放さに驚かされる反面、これと対象的なアカデミズム作家の、超習練された数々の技法に改めて驚かされるに違いない。

かつて、阿部良雄が「19世紀は絵画の偉大であった最後の時代」と私にいくつかの例を示してくれた事が思い出された。

しかしいずれにせよ、この世界不況の真最中、美術館の企画も経済的理由でぱっとしないのだが、本展は国外の40館の美術館から作品を集めて展示してあった。企画者の奮闘ぶりに脱帽!

Everiste-Vital LUMINAIS / Zeit-Foto Collection

2/21/2009

SPレコード(1930年)コンサート


ニッポン放送とツァイト・フォトの共催で、1930年前のSPレコードコンサートを、明治生命ビル地下で2日間に渡って開催した。

この会場は1934年に完成したアールデコ様式の空間であり、このコンサートの演奏家達の時代と一致していた。

ジャズ、ラテン音楽そしてクラシックの名盤が、美しい音を出して会場に来た人達を驚かせた。

皮肉な事に、これらのSPレコードは、電機吹き込み式になったばかりの超アナログの産物だが、そこに入っている情報量は自然で素晴らしく、そして充分すぎる程充分である。

いまのCDやDVDでの録音ではこのSPの足元にも及ばない。

文明の進化とは一体何なのか?

各演奏を聞きながら色々と考えさせられた。

ツァイト・フォト
石原

1/08/2009

大原美術館へ

この1月7日、本当に久し振りに、大原美術館を尋ねた。

ツァイト・フォトの親しい写真家、鯉江真紀子が、
当館の収蔵品と混ぜて新作を展示する、という事に興味を抱いたからだ。

両者は全てが幸福に満たされた関係ではなかった。
対立とは云えないまでも、不協和音をあげている時もある。

しかし、ある小部屋に展示された彼女の一群の新作は、
当館の古典、近代の名作群と熱き愛情で結ばれている様な、
激しいエネルギーと創作意欲に満たされていた。

この瞬間から私は、1920年代に、これら名画に賭けた児島虎次郎の
並々ならぬ芸術収集への情熱を感じた。
美術商として至福の一日であった。

ツァイト・フォト
石原