8/18/2009

ギャラリストのお盆休み

お盆休みだというのに、美術館や展覧会をまわった。

国立近美で見たゴーギャン展。
彼は34歳で、株でお金を儲け、画家に転業した。
その数年間、初期の作品の美しい事。高名な印象派の作品でさえ比類出来ない程美しい。晩年の大作「我々はどこから来たのか」は、画面が暗くてテーマも懐疑的で、私には楽しめなかった。

横浜美19世紀フランス展は、土曜日なのに大混雑していた。
若い人達は皆メモをとっている。皆、将来絵描きになるのではないだろうが、若い時にこんな芸術体験はとても貴重だ。思い出すには僕が中学生の時、鎌倉近美が出来て、そこにヨーロッパの若い作家の展覧会を見に行ったのは、本当に心が高鳴った。

また、都内で偶然に立ち寄った東日本橋の画廊で、若い作家の作品が気に入って、100号を求めた。お盆休みが私にくれた幸運である。

それからもうひとつ、友人から、若いピアニストの演奏会につき合わされた。
モーツァルト、ベートーベンの作品がメインプロであったが、氏のピアノは、かつての輝きを失って、演奏自体がグニャグニャに響いた。

この時私は、パリで聴いた内田光子のモーツァルトの演奏の、あの大きな感動を思い浮かべた。
彼女は、日本で演奏会を開いても、それが終わるとすぐに英国に戻ってしまう。

やはり、洋楽というのは、個人と個人が対立するような精神的風土がないと、維持出来ないものなのであろうか。芸術は厳しい。

8/05/2009

東川町フォトフェスタ25周年展

8月1日に、北海道の東川町フォトフェスタが25年を迎えた。主催者側の努力が最大の理由だが、それに関係する若い審査員達が有能であったから、こんな永い間続いているのだと思う。

今回、私は柴田敏雄の受賞もあって参加したのだが、若い町長も運営スタッフも実に誠実かつ熱心である。

1986年に国内作家賞を受賞した篠山紀信さんと会場でお会いした時、
"この会もあと何年続くだろう? 2年か5年続けば良い方だな"
などという、悪い冗談を言い合ったものだ。

国内作家賞というのは、植田正治、杉本博司、そして今回の柴田敏雄でも、作家自らの実力で既にグローバルな地位を築き上げている写真家達への追認的行為もあって、これは誰でも異議のない事と思うが、私が興味があるのは、新人作家賞を受賞した人達が今現在、どんな形で活躍しているかという事だ。

佐藤時啓、松江泰治、オノデラユキ、金村修達の息の長い活躍振りをみると、フォトフェスタの選考が、合格点をとっていた事が判る。

東川町の写真祭に続いて、最近では全国各地で写真コンクールが増えてきた。東川町の精神を受け継いで欲しいと願うのは、私だけではあるまい。



© Toshio SHIBATA

© Yuki ONODERA

© Tokihiro SATO

「時代の相対性」への反論

前回のこのテーマに関して異議を受けた。

それは”1930年オタク”にならず、今の若い演奏家の実演にもっと耳を傾けろと云うのだ。少し複雑な気持ちだ。

私としても精一杯生演奏を聴いている。特にドイツやフランスで仕事していた時は、一生懸命になってチケットを入手した。ズイトナー(ベルリン国立歌劇場オーケストラ)、アバド(ベルリン・フィル)、そして少し古いところではヴァント(西南ドイツ)だ。

例の三羽ガラス、バレンボイム、アシュケナージ、インバルも度々足を運んだ。インバルなど、ケルンから東京までルフトハンザの隣席にいて、マーラーのNO.5の話を拝聴し、そして語り合った。(日本で読売交響楽団を指揮して同曲をプログラムにあげた。)
しかし、彼等の演奏にはズイトナーやアバド、そしてヴァント等の演奏で体験したクラッシックを聴く事の至福感はなかった。

まして現在の若手(特に日本)諸君のオーケストラ指揮は退屈だ。やたらと丁寧だったり又は反対にスポーツマンの様だったりして!!

作品の誕生した時代との距離が、彼等の演奏を無味乾燥にしてしまったのだろうか?
その点、小澤征爾などは日本人としては傑出した指揮者であったと思う。
パリや東京で彼の音楽会に度々足を運んだ時、どの演奏も心から楽しめた。

こんなこともあって、私は1930年代を心から愛し、その忠実な再現から芸術心を今も学んでいるのだ。