9/12/2009

芸術の秋は来た!

リーマンショックや、経済の自己調整作用が、アジアの国々に暗い影をおとしている時でも、芸術の秋はやって来た。

200の展覧会が、一斉に花開く上海に行った。すでに、10年以上前に出来た、ここの芸術家集団村(モーガンシャンルー)では、9月6日に300人以上の芸術愛好者達がアトリエやギャラリーに集まり、深夜まで芸術論を愉しんだ。写真の展示スペースも、この1〜2年に急増した。

なお、私の目に止まったのは、若手のアーティストで組織されている中国抽象画家集団のグループ展であった。丁乙、陳、それに上海美術館館長の李磊等の作品は、全て快かった。固い感じもするが、完成度は高い。

今回、私が上海に出掛けた最大の目的は、この秋、新設された芸術地域に創立した、民生美術館のオープニング出席である。これは、若い銀行の頭取が建てた現代美術館で、その副館長は友人の画家、周鉄海が務めることになった。氏は、中国のみならず、日本や韓国に知人も多く、作品を収集するのは最適な人材なのだ。無機質なコンクリート打ちっ放しの空間に作品が点々と置いてある。オノデラユキや小野裕次、それとアキ・ルミの作品も展示されていた。

内部に泥水を満杯にした、サビた大きなバンが乗り入れられて放置されていたが、それも中国若手による作品だった。その傾め前のニューギャラリーでは、日中の3人展があり、準備中である。しかし、あまり多数の作品が一斉に上海税関に集まったので、通過に時間がかかり、オープニングに間に合わないとか・・・。ここいらが、中国の行政の後進性だが、それを嘆いても仕様がない。山脇紘資という若手画家は急遽、ギャラリーの壁面を使って、大作の油彩画を描いた。2日間の徹夜仕事だ。

先週、私は、安斎重男写真展が開催されていた上海美術館を尋ねると、主任から呼び止められ、同展が、北京にある中国美術館(国立)にも巡回する事になった事を聞かされた。北京の館長が同展を、えらく気に入ったためだと言う。安斎の主題〝世界現代美術の巨匠達〟が、いまの中国の現代美術界にとって、good timing だったのであろう。

次の日、最初に、ツァイト・フォトのオフィスがあった、モーガンシャンルーのカフェにコーヒーを飲むため立ち寄った。2人の旧友(アーティスト)に会った。
張恩利と丁乙だ。
12年前、彼等の作品をここで買った時、2人ともリアカーに画材をつんで来てアトリエに入り、そこで作品を制作していたのだが、いまはポルシェとBMWを使っていた。作品が順調に売れ始め、金持ちになったのだろう。
でも、彼等は12年前と同様、否や、それ以上に真剣に作品制作にせっせと取り組んでいた。
流行作家が冒す過ち、即ち自分の人気テーマを何年も繰り返すということなく、作品を前に進めている。退廃がない!ブラボー。
彼等の作品をディーリングしているのは、スイス国籍のロレンツだ。彼もよく働いている。
中国人の良きギャラリストが出るのも、それ程時間がかからないだろう。

終わりになったが、東京・六本木で開催された、我が国で最初のフォトフェアー " TOKYO PHOTO 2009 "について、少し書いてみたい。
若い原田という門外漢が着想したこの企画は、最初は多くの問題があり、従来のフォトギャラリーからは、敬遠された。僕も、アドバイスはしたものの、参加は躊躇した。
しかし、直前になって、参加を決めた。若い世代が情熱をもってする企画には、寛大であるべきだ、と考えたからだ。いざ、フタを開けてみると、初日から予想以上に多い Visitor が会場に足を運んだ。若手が多い。六本木という地のりも幸いした。
彼等は、作品のコレクターというより、知的でファッショナブルな観覧者だ。

30年以上、写真のディーラーとして動いている私には、これ程沢山の若い人達が、興味をもって、作品に見入っている事は、感無量であった。日本の写真家も、この数年、欧米やアジアにおいて、高い評価を得る人達が増えて来た。スケールのあるコレクターも、少数ではあるが出て来た。
今回の、フォトフェアーでは、実売は予想を下回ったが、こんなに多くの若い人達が、会場に足を運んでくれた事を考えれば、大成功である。
ローマは、一日にして成らずである。

ツァイト・フォト
石原


上海新芸術地区での三人展

© Yuichi HIGASHIONNA

© He Jie

© Kosuke YAMAWAKI

© Zhou Tiehai

© Aki LUMI

© Yuji ONO