11/20/2008

Paris Photo 2008

11月9日からParis Photoが開催された。

今年のテーマは、〝日本〟ということもあって、
この国からは、7〜8軒のギャラリーと出版社5社が出店。
フランス人の注目を集めた。

とにかく、とびっきり驚いた事は、
フランス人がこれほど写真好きということだ。
ルーブル美術館の、地下の大会場ルーブル・カルーセルに、
連日、多くの人が入場券を求めて、長蛇の列を作っていた。
6日間で、10万近くの人が入ったんじゃないだろうか。
文部大臣も、閣僚も、行政官も、皆興味津々で、写真を見に来る。

でも、この金融危機の真最中ということもあって、
売上げ、という成績のほうは、ぱっとしない。
私のブースでも、値のはる作品を購入したのは、
オランダの美術館と中国のお金持ちであった。
フランス人がいないのも、皮肉な事である。

ブースに座り、
木村伊兵衛、柴田敏雄、オノデラユキなどの作品を展示していると、
本当にいろいろな人たちが、質問や様々な問いかけをしてくる。
毎日100人はいただろう。
答える私は、全力を使い果たし、精根尽きた。

それでもである。

チャーミングなパリの雑誌記者や文化大臣から、
質問を受けた時などは、内心、心が浮き立った。

なかでも、一番うれしかったことは、
20年前に、スペイン(マドリッド、バルセロナ、クロナダ)で
日本の写真家展を企画した際の、
才媛学芸員(カトリーヌ・コールマン女史)が、
今や〝スペインの文化大臣〟という肩書きをもって、
私のブースに来たことである。
その時は、あまりの感激に、我を忘れたほどだ。

彼女が「石原が、昔のように元気で、活躍していてうれしいわ」
と、言った時の感動は、衝撃に近かった。

ツァイト・フォト
石原

8/15/2008

現代中国美術展を開催して思ったこと

ツァイト・フォトの石原です。


 1970年代後半から、一挙に開放経済に向った中国ではあるが、
現代美術に関しては、最初から全て「ゴー」ということではなかった。

最初の革新的な芸術家集団である「星星画会」のメンバーの多くは、
よく知られているように、その表現を本国中国で行うことはできなかったので、
欧米や日本に脱出して制作活動に入った。
続く「85美術運動」の人たちは中国に留まったものの、
時には体制規則との間で激しいやりとりが行われもした。
そして、また、彼らも「星星画会」のメンバーと同様、
天安門以来その多くが国を離れている。


「抑圧があるから生命力の輝きが誕生するのだ」
と他人事を言う論者もいるが、アーティストたち本人にとっては、
その都度その都度が、自らの存在をかけた重大な瞬間なのである。


私は数年前、国際交流基金の会合で、
最初に海外に跳び出していったアーティスト、蔡國強と会った。
その時氏は中国でのG7の際に政府から、
中国が生んだ世界的なアーティストとして帰国を要請され、
氏のシンボルでもある花火を打ち上げて欲しいと命令を受けていた。
私は氏に向って
「貴方の帰国要請無視は、更に対抗作家としての名誉を増幅させますね?」
と問いかけた。
ところが、氏の答えは思いかげないものであった。

「私は中国に花火を上げに戻ります。こんな好機でもないとなかなか中国には帰れませんからね。」

そう言って笑った。
そんな氏は堕落した作家なのか、それともたくましき実存主義者なのか?
その時の私は一瞬戸惑った。


もちろん、今なら答えはすぐに決まっている。
彼は偉大なる実存主義のアーティストだ。
中国人作家のこの強靭な精神力とパワーは、どこかの国の青白きインテリ諸君も見習った方が良さそうである。


石原悦郎

3/13/2008

フォト! アジアティック!

台北に日本の若手写真家諸君の展覧会で出掛けた。ここは上海、北京、ソウルなどとはまた異なった
雰囲気とカルチャーがあって興味津々たるものがある。写真。It's beginging という感じで活気がある。それに柔軟性も加わりパリや上海の様な大都市ではないが、面白い作家の出る可能性は充分ある。ペインター、インスタレ—ション・アーティストも加わり、大テーブルで夕食をとる。色々な若手と、海鮮料理をつまみながら、「この作家は買いか否かさぐりを入れる」一段と料理の味が冴える。

ツァイト・フォト
石原

1/15/2008

コンテンポラリー・アートの生命

ツァイト・フォトは写真と油彩画という平面作品で、日中交流展を上海美術館で企画中だ。
同時に上海や北京で開催されるアート・フェアにも毎年参加している。


そんな中、先日、私は日本国内で評判の高いアート・フェアに行ってきた。
若手のアートディーラー達が、東京、神楽坂のホテルを貸し切って、
1階から5階の30部屋ほどのスペースに、
国内の力ある画廊が自分のところのアーティストの作品を持ち寄って販売するというものだ。
アイデアが個性的なことが話題となって大勢の人達が会場に押し寄せた。
私も知人に誘われて作品を捜しに出掛けたというわけである。


ホテルの廊下や小部屋は見物人でいっぱいだった。
でも、あまりに狭すぎて大きな作品は飾れない。
ベッドの上に置ける作品のサイズはたかが知れている。
また、午後になると入場券は売り切れて、入りたくても断られる。
斬新な試みで作戦勝ちということは出来る。


しかしである。
私が毎月出掛けている中国作家のアトリエに比べると、
10分の1、いや、100分の1以下の狭さだ。
今や、世界で活躍するアーティストの作品の巨大化はとどまるところを知らず、
中国に限らず世界基準の作品サイズは数メートル級となっている。
もちろん、作品の価値は大きさではない。
しかし、この狭さが大きな作品を疎外している事実は否めない。


ここは、根本的に現代美術の生息場所ではない。
しかも、入場制限とは、言語道断ではないか。


コンテンポラリー・アートの生命はすべての人達にいつでも自由に参加してもらう事で息づく。
日本の若手がこれでは困る。

ツァイト・フォト
石原