8/13/2010

何故、1930 SP原盤か(原盤宝庫)

今回、TANGRAM GALLERYでOpeningの日とその翌日に開催されるSPレコードのコンサートには以下の特色がある。

1.1930年クラシック音楽が最高に輝いた時代である。
2.その原音を忠実に再生出来るのは現在の段階で我々の開発したイコライザーアンプと倍音スピーカーだけである。
3.ピアノ、ヴァイオリン、声楽、指揮者、オーケストラ全てが最高の音質で聞く事が出来る。


とにかく信じがたい程の美しい原音と秀れた演奏が我々の耳に、否、身全体におそいかかって来ます。かつて、体験した事のない感動が皆様を包み込むでしょう。
全てが、不世出の天才による特別秀れた演奏がプログラムを飾ります。
ギーゼキングの真珠をころがした様なピアニズム、クライスラーの良い時代のウィーンの音、ワグナーやシューベルトを歌う類い稀なる声音家の調べ、など会場は未体験の芸術感動のるつぼと化するでしょう。





Furtwangler in Conducting Beethoven Nr.5








4/08/2010

「マネとモダン・パリ」三菱一号館美術館


 4月6日にオープンした三菱美術館(丸の内)でマネ展を観る。
 刺激的だ。

 1830年の7月革命と同期に誕生したマネの人生は半世紀間ではあるが、ドラマチックなもので、凡庸な印象派の画家とは異なっていたこともよく解った。

 彼の常用する‘黒’が、スペインの画家ベラスケスに対するオマージュであった事も面白い。氏の戦場も印象派展でなく、サロンである。相当自信があったに違いない!

 氏の生きた時代、オスマン計画も示す様に古いParisの都がドラステックに近代化(モデルニテ)された時代だ。強固な主語(マネ)と目的語(作品)、形容詞や副詞は限りなくブリリアントであり、霊感にさえ満ちている。

 私達のいまいるポストポストモダンとは全てが反対だ。
                 
"エドアール・マネ"(部分)
アルフォンス・ルグロ 作

4/06/2010

芸術に於けるコンセプトそしてグローバリゼーション

 私はJR中央線で国立駅から東京駅までが通勤経路だ。いつも1号車の先端の所に陣取って疾走する電車のフロントから左右にとび去る風景を見るのが愉しい。

 今日(4月7日)も、いつもの様に次々と通過する駅をフロントウィンドーからながめていた時、〝これこそコンセプトアートだ〟と直感した。左右周辺の雑多な風景を意識しながらも、集中するのは眼前に現れるレールだけ。個々の物事や出来事間の違いを省き、目に飛び込んで来るレールと信号に神経を集中させる。河原温の Date Painting や Gerhard Richter のPhoto Painting〝階段を下りる裸婦〟が脳裏に浮んだ。

 同時に私が思ったのは、こんな概念芸術 Concept Art が生まれるのは、一神教(Christ)の文化の産物ではなかろうか、という事だった。1点から自分の位置が遠近法に測れるのだ。日本の様な神々が大勢いる国ではこれは成立しない。


 もうひとつの問題は、芸術のグローバル化という問題である。私的な事で恐縮だが、私は中国で、約13年間作品の収集と企画に関係している。元来アートというもの自体、国境や国籍を超越して成立していると思っているが最近これとは反対に、Locality を強調する企画展が目立つようになった。話は飛躍するが、フランスの代表的写真家 H. Cartier=Bresson の作品でもフランス(又はヨーロッパ)でシャッターを切ったものは実に見事だというものが多いが、氏が中東や日本で撮ったものは、前者の作品と比較すると輝きが弱い。風土と作家の関係、それは自分のような凡人ではとても言葉でつづれないがそこには何か在る。モダニズムという芸術史を持たなかった中国(政治的動乱)や韓国(日本の植民地支配)では、その開放や戦後に芸術表現の自由が一気に誕生すると、若手作家は欧米の作風を形だけ借りて身につけようとするか、又は、反対にその土着性を強調するかに分かれていく。


 しかしこんな混沌と混乱が彼等の作品を面白くしているから、芸術は皮肉だ。オリーブの下に芸術はないという事か。最近、日本ではコンテンポラリー・アートフェア2会場に足を運んだけれど、私が感じた事は、日本の若手アーティスト達は、中国や印度の作家に比べて、決定的にエネルギーが不足しているという事だった。若い人達の作品があれ程まで内向的というのも気になった。

3/24/2010

古い洋楽レコード(SP盤1930年前後)のドイツ文化会館でのコンサートについて。


先日、友人の依頼を受けてゲーテ・インスティトゥートでのクラッシックSPレコードを聞く会をもった。友人グループがSPやLPに対応出来る高性能の再生システムを完成し、その一番バッターとして1930年頃のシンフォニーを鳴らす事になった。

フルトヴェングラー、カール・ベーム、レオ・ブレッヒ、カラヤン、そしてメンゲルベルグといった大指揮者の他に、ショパンを最も耽美的に演奏したA.コルトーなど。これらはドイツ国家主義体制(NAZIS)の下での演奏回数の多い音楽家達だ。
10年程前、ケルンでワーグナーやフルトヴェングラーのレコードを捜していたら、知人から“君はネオナチではないよね?”と2〜3名からいわれた。日本と異なり、あの大戦について総括したこのドイツだから、こんな言葉が出てくるのだ。
この点、日本は今でもNothingである。そしてこの国の政党政治は歩みが極めて遅く、世界の動向に関し殆ど鈍感である。

話をもとに戻そう。上述のSPレコードの演奏はいずれも秀逸であった。NAZISは芸術家を巧みにプロパガンダに使ったのだろう。謹厳居士のカール・ベームさえハーケンクロイツやヨーゼフ・ゲッべルスの目の前でワーグナーを振っていたのだ。当局が利用した音楽はワーグナーとベートーヴェン(第九)が多い。

当日のSPプログラムでは、フルトヴェングラー指揮のオベロン序曲(ウェーバー作曲、ウィーンフィル)が白眉であった。ベームのブルックナーNo.6(ドレスデン国立歌劇場)はそれに続いた。これらは秀逸で美しい演奏だ。

政治と芸術、日本では所謂 “戦争絵画” の問題があるが、その事についても充分語られる事なく、時代は新しいstageに入っている。



NAZISとの関係で審判を受けた2人の音楽家
A.コルトーとW.フルトヴェングラー ca.1945 Paris

2/17/2010

上海の夜景

旧いホテル、和平飯店の屋上レストランで食事を取りながら見渡すバント周辺の夜景、1930年代から東洋のメガロポリスであったこの地区の威容ある光景は夜になると事さら輝きを増し、Bestだと思っていた。しかしつい先日、上海美術館で日野之彦展の春節オープニングを終え、アーティスト諸君を囲んでマリオット39階の夕食のテーブルについた時に窓から見下ろした最新の上海夜景。霧で頭の部分が隠れた前衛的な高層ビルや、そのはるか下に展開するブルーのイルミネーションで光る高速道路とメダカの様に行き交う自動車群。1日の労働の疲れを取り去ってくれるこの幻想的な夜景。

東京はアッという間に追い抜かれてしまった。

それにしても上海中の美術館が春節のしょっぱなから一斉に個性的な企画展を始めている事も驚きをもって脱帽。



上海美術館での日野之彦展 2月9日         石水美冬撮影