7/31/2009

時代の相対性? ~昔よかったものでも、いまやポンコツ~

1950年代のアメ車は、いまや、殆どオシャカだが、
形の美しいスチュードベーカやシボレーは、エンジンが健在なら、
美しきクラシック車となる。

性能は、いまのハイブリッド車や電気自動車に比べても落ちるが、
品格は数段上だ。

私事で恐縮だが、自分は1930年代のSPレコードの美しさに魅せられて、約40年間、世界中を巡って、2000枚の貴重版を収集した。

当時のブルジョア達は、クレデンザやビクトリアといった蓄音機・再生機材で、これらを聴いていたのだが、いま聴くと、レコードに録音されている音の7割程度しか、引き出せていない。

これを、100%引き出して鳴らしてみたいという願望に、私と友人の技師は取り憑かれた。

〝21世紀に、100年前のレコードを完全に鳴らす方法〟に取り組む事、15年。
イコライザーと、斬新な集積回路(コンピューター操作)のアンプの制作を経て、合格点を与えられる再生装置が完成した。

早速(栃木県美のホールにて)A・コルトーのショパンのソナタ3番を聴く。初めて耳にするコルトーのショパンの発音、そしてテンポ・ルバートの効いた、まぎれもない、あのコルトー。

1930年代は、クラシックの最初で最後の黄金時代。
ワイマール後期に起きた天才達の時代だ。
ギーゼキングの、ノイエ・ザッハリヒ・カイトの演奏の素晴らしい事。

今まで、音楽評論家はこんな音を耳にすることなく、一体何を聴いて批評を書いていたのだろうか。
不思議である。

ツァイト・フォト 
SPレコード研究室 石原

7/21/2009

芸術とENERGY

栃木県立美術館で観た、日本と中国の現代写真家達の作品展は、中国側の圧倒的なENERGYの前に、日本の第一線の作家もタジタジであった。

写真に関する細かいテクニックや、素材の使い方に関しては、
日本の方が一歩も二歩も進んでいるのに、何故なのか?
そこに同席したA学芸員は云った。
「被写体自身に原因があるのでは・・・。」

少し立場を変えて、音楽の場合であれば、どうであろうか?

同一の演奏家(ピアニスト、バイオリニスト、指揮)でも、
取り上げる作品が、作品として完成度が高いものであれば、
我々に伝わる感動は大きいのであろうか。
ジュピター、パストラル、シックザル・シンフォニーに関して、
誰でも感銘を覚えるのは、我々が体験している事だ。

いま、日本の青年達は、植物的であると云われている。
配慮的で気遣いはあるが、いざという時、その軟弱性は拭いきれない。

「強い男性」は、いまや幻か?
否、これは日本だけの現象で、他のアジアの諸国では強い力の男に出会う。

これはきっと、日本の政治経済、それに伴う文化が、大きなダイナミズムを欠いているからだと思う。


© ANZAI  "Joseph Beuys"
8 月下旬より、上海美術館にて個展開催予定。

7/08/2009

絵空事!されど我等が愛、もっと美術館に行こう

①ネオテニー・ジャパンー高橋コレクション(上野の森美術館)
②中国現代美術との出会い(栃木県立美術館)

①の高橋コレクション展(幼形成熟)を二回見た。
氏は、空白の十二年間(公的機関のコレクションが、殆どなかった時期)に、一人で膨大な日本の若手作家のコレクションを作った人だ!
でも、この収集作業は、氏一人ではなく、評論家や画商の力を合わせて、なされたものと推察された。
②の中国現代美術のコレクションは、偶然にも同時期になされているが、それはギャラリスト一人の目でなされたものだ。上海、北京、重慶、広東などのギャラリーや作家のアトリエを一つ一つめぐって、買い集めている。
日本と中国は、この数十年間をとってみても、その芸術史の展開が、色々な意味で異なっているので、この二者の収集作品の比較論は、あまり意味がない。
高橋氏は、精神科医らしく、一点一点に埋没する事なく、冷静にコレクションしている。
それに対して、②のギャラリストは、約四十年間の欧州でのコレクションの体験から、作品一点一点に、強い思い入れをもって、収集に臨んでいる。バトミントンの試合が出来る様な中国作家の広大なアトリエを訪問して、多数の作品から、自分が惚れ込んだ巨大なタブローを選び出すことが、快楽なのである。
私が高橋コレクションの主要作品から感じた事は、みんな絵が上手で、独特のテクニックをもっているという事、例えば会田誠などが、その代表である。これを、同行したフランスの評論家は、デカダンと言ったが、日本には、退廃美という言葉が示すように、完成度が高ければ、これらを受け入れる事は、やぶさかではない。
それに比べれば、中国の作品は、とにかく大きく、アッケラカンとしている。
その最終的評価は、時間が決めてくれるだろう。日本と異なり、モダニズムを体験しなかった中国作家達は皆、各々の方法で、その空間を埋めたり、又は混乱を生じさせている事も興味深い。

ついでに、ルーブル美術館展(大阪国立国際美術館)と19世紀フランス絵画展(横浜美術館)について一言。
前者は、ルーブルにやられた。内容は乏しく、ルーブルという名前を巧みに使って、客を動員させたもの。
内容的には、横浜美術館の19世紀フランス絵画展の方が、断然充実しており、是非足を運ぶことをすすめます。
保守派と革新派の対立構図の中に、フランス19世紀を浮き彫りにする企画力が、魅力的である。


会田誠 大山椒魚 2003 / 高橋コレクション

馬六明 Baby '98 No.9 1998 / ツァイト・フォト コレクション