先日、友人の依頼を受けてゲーテ・インスティトゥートでのクラッシックSPレコードを聞く会をもった。友人グループがSPやLPに対応出来る高性能の再生システムを完成し、その一番バッターとして1930年頃のシンフォニーを鳴らす事になった。
フルトヴェングラー、カール・ベーム、レオ・ブレッヒ、カラヤン、そしてメンゲルベルグといった大指揮者の他に、ショパンを最も耽美的に演奏したA.コルトーなど。これらはドイツ国家主義体制(NAZIS)の下での演奏回数の多い音楽家達だ。
10年程前、ケルンでワーグナーやフルトヴェングラーのレコードを捜していたら、知人から“君はネオナチではないよね?”と2〜3名からいわれた。日本と異なり、あの大戦について総括したこのドイツだから、こんな言葉が出てくるのだ。
この点、日本は今でもNothingである。そしてこの国の政党政治は歩みが極めて遅く、世界の動向に関し殆ど鈍感である。
話をもとに戻そう。上述のSPレコードの演奏はいずれも秀逸であった。NAZISは芸術家を巧みにプロパガンダに使ったのだろう。謹厳居士のカール・ベームさえハーケンクロイツやヨーゼフ・ゲッべルスの目の前でワーグナーを振っていたのだ。当局が利用した音楽はワーグナーとベートーヴェン(第九)が多い。
当日のSPプログラムでは、フルトヴェングラー指揮のオベロン序曲(ウェーバー作曲、ウィーンフィル)が白眉であった。ベームのブルックナーNo.6(ドレスデン国立歌劇場)はそれに続いた。これらは秀逸で美しい演奏だ。
政治と芸術、日本では所謂 “戦争絵画” の問題があるが、その事についても充分語られる事なく、時代は新しいstageに入っている。

NAZISとの関係で審判を受けた2人の音楽家
A.コルトーとW.フルトヴェングラー ca.1945 Paris