
8/13/2010
何故、1930 SP原盤か(原盤宝庫)

4/08/2010
「マネとモダン・パリ」三菱一号館美術館

4/06/2010
芸術に於けるコンセプトそしてグローバリゼーション
私はJR中央線で国立駅から東京駅までが通勤経路だ。いつも1号車の先端の所に陣取って疾走する電車のフロントから左右にとび去る風景を見るのが愉しい。
今日(4月7日)も、いつもの様に次々と通過する駅をフロントウィンドーからながめていた時、〝これこそコンセプトアートだ〟と直感した。左右周辺の雑多な風景を意識しながらも、集中するのは眼前に現れるレールだけ。個々の物事や出来事間の違いを省き、目に飛び込んで来るレールと信号に神経を集中させる。河原温の Date Painting や Gerhard Richter のPhoto Painting〝階段を下りる裸婦〟が脳裏に浮んだ。
同時に私が思ったのは、こんな概念芸術 Concept Art が生まれるのは、一神教(Christ)の文化の産物ではなかろうか、という事だった。1点から自分の位置が遠近法に測れるのだ。日本の様な神々が大勢いる国ではこれは成立しない。
もうひとつの問題は、芸術のグローバル化という問題である。私的な事で恐縮だが、私は中国で、約13年間作品の収集と企画に関係している。元来アートというもの自体、国境や国籍を超越して成立していると思っているが最近これとは反対に、Locality を強調する企画展が目立つようになった。話は飛躍するが、フランスの代表的写真家 H. Cartier=Bresson の作品でもフランス(又はヨーロッパ)でシャッターを切ったものは実に見事だというものが多いが、氏が中東や日本で撮ったものは、前者の作品と比較すると輝きが弱い。風土と作家の関係、それは自分のような凡人ではとても言葉でつづれないがそこには何か在る。モダニズムという芸術史を持たなかった中国(政治的動乱)や韓国(日本の植民地支配)では、その開放や戦後に芸術表現の自由が一気に誕生すると、若手作家は欧米の作風を形だけ借りて身につけようとするか、又は、反対にその土着性を強調するかに分かれていく。
しかしこんな混沌と混乱が彼等の作品を面白くしているから、芸術は皮肉だ。オリーブの下に芸術はないという事か。最近、日本ではコンテンポラリー・アートフェア2会場に足を運んだけれど、私が感じた事は、日本の若手アーティスト達は、中国や印度の作家に比べて、決定的にエネルギーが不足しているという事だった。若い人達の作品があれ程まで内向的というのも気になった。
3/24/2010
古い洋楽レコード(SP盤1930年前後)のドイツ文化会館でのコンサートについて。

2/17/2010
上海の夜景
12/25/2009
印象的な2つの写真展+α素晴らしかった2つの展覧会
この秋見た多数の写真展の中で ①安斎重男展と ②杉本博司展は突出して印象的だった。
① 安斎が40年近くかけて撮り続けた内外のアーティスト達を対象とした作品が多摩美の図書館や美術館で数百点展示された。
ひとつの主題を撮り続けた氏の作品群がこんな形で一堂に展示されると、永年かけてこの仕事に一途に懸けた安斎重男の世界が見事にうき上がる。
数百人に及ぶアーティスト達のもつエネルギーと、かくも長きに渡ってそれを継続した安斎の執拗性が今や年代物のワインの様にたまらない香りを放つ。
② 杉本のここ数年の仕事はイメージを含んだ物質としての写真を氏の美学で並べ変えるという行為のように思う。宇宙から飛んで来た隕石や歴史の中の古美術や行為(能)など。氏の美学で並べ変えるという独創性(奇行)によって成立している。
安斎のアーティストドキュメントという写真の用い方が写真の属性の中に収まるのとは対照的に、杉本はタルボットのネガを高価な価格で自ら買い取り、オマージュ“タルボット”を創り出している。特殊な製作技法も発明家タルボットの遺産を相続している。
静岡県の三島からタクシーで3千円かけて入った山里の美術館(IZU Photo Museum)のオープニングで本人の説明を聞きながら作品を見ていると、彼の様な人物は日本の写真界からは2度と出ない異端者の様に思われ、私の抵抗感も消失していく。



10/01/2009
魔王
このゲーテの詩は、不吉、不安、闇、そして恐怖で満たされているにも関わらず、聴く者の魂を根底から揺さぶる。
何故だろう?
自然の摂理と人間社会(政治や経済)の、矛盾と亀裂の中から、突如として発火して燃え上がる、この煌めき。
私は、思った。
これこそ、芸術の原点ではないだろうか?
いま、コンテンポラリーアートにたずさわっている作家、評論家、学芸員、美術商、そして収集家で、こんな煌めきを体験できる人は、幸いである。
追伸 :
このブログを書いている時、日本の代表的バリトン、中山悌一の訃報が入った。
この曲を歌う氏の事を、私は印象的に記憶している。

