ツァイト・フォトの石原です。
1970年代後半から、一挙に開放経済に向った中国ではあるが、
現代美術に関しては、最初から全て「ゴー」ということではなかった。
最初の革新的な芸術家集団である「星星画会」のメンバーの多くは、
よく知られているように、その表現を本国中国で行うことはできなかったので、
欧米や日本に脱出して制作活動に入った。
続く「85美術運動」の人たちは中国に留まったものの、
時には体制規則との間で激しいやりとりが行われもした。
そして、また、彼らも「星星画会」のメンバーと同様、
天安門以来その多くが国を離れている。
「抑圧があるから生命力の輝きが誕生するのだ」
と他人事を言う論者もいるが、アーティストたち本人にとっては、
その都度その都度が、自らの存在をかけた重大な瞬間なのである。
私は数年前、国際交流基金の会合で、
最初に海外に跳び出していったアーティスト、蔡國強と会った。
その時氏は中国でのG7の際に政府から、
中国が生んだ世界的なアーティストとして帰国を要請され、
氏のシンボルでもある花火を打ち上げて欲しいと命令を受けていた。
私は氏に向って
「貴方の帰国要請無視は、更に対抗作家としての名誉を増幅させますね?」
と問いかけた。
ところが、氏の答えは思いかげないものであった。
「私は中国に花火を上げに戻ります。こんな好機でもないとなかなか中国には帰れませんからね。」
そう言って笑った。
そんな氏は堕落した作家なのか、それともたくましき実存主義者なのか?
その時の私は一瞬戸惑った。
もちろん、今なら答えはすぐに決まっている。
彼は偉大なる実存主義のアーティストだ。
中国人作家のこの強靭な精神力とパワーは、どこかの国の青白きインテリ諸君も見習った方が良さそうである。
石原悦郎
8/15/2008
3/13/2008
フォト! アジアティック!
台北に日本の若手写真家諸君の展覧会で出掛けた。ここは上海、北京、ソウルなどとはまた異なった
雰囲気とカルチャーがあって興味津々たるものがある。写真。It's beginging という感じで活気がある。それに柔軟性も加わりパリや上海の様な大都市ではないが、面白い作家の出る可能性は充分ある。ペインター、インスタレ—ション・アーティストも加わり、大テーブルで夕食をとる。色々な若手と、海鮮料理をつまみながら、「この作家は買いか否かさぐりを入れる」一段と料理の味が冴える。
ツァイト・フォト
石原
雰囲気とカルチャーがあって興味津々たるものがある。写真。It's beginging という感じで活気がある。それに柔軟性も加わりパリや上海の様な大都市ではないが、面白い作家の出る可能性は充分ある。ペインター、インスタレ—ション・アーティストも加わり、大テーブルで夕食をとる。色々な若手と、海鮮料理をつまみながら、「この作家は買いか否かさぐりを入れる」一段と料理の味が冴える。
ツァイト・フォト
石原
1/15/2008
コンテンポラリー・アートの生命
ツァイト・フォトは写真と油彩画という平面作品で、日中交流展を上海美術館で企画中だ。
同時に上海や北京で開催されるアート・フェアにも毎年参加している。
そんな中、先日、私は日本国内で評判の高いアート・フェアに行ってきた。
若手のアートディーラー達が、東京、神楽坂のホテルを貸し切って、
1階から5階の30部屋ほどのスペースに、
国内の力ある画廊が自分のところのアーティストの作品を持ち寄って販売するというものだ。
アイデアが個性的なことが話題となって大勢の人達が会場に押し寄せた。
私も知人に誘われて作品を捜しに出掛けたというわけである。
ホテルの廊下や小部屋は見物人でいっぱいだった。
でも、あまりに狭すぎて大きな作品は飾れない。
ベッドの上に置ける作品のサイズはたかが知れている。
また、午後になると入場券は売り切れて、入りたくても断られる。
斬新な試みで作戦勝ちということは出来る。
しかしである。
私が毎月出掛けている中国作家のアトリエに比べると、
10分の1、いや、100分の1以下の狭さだ。
今や、世界で活躍するアーティストの作品の巨大化はとどまるところを知らず、
中国に限らず世界基準の作品サイズは数メートル級となっている。
もちろん、作品の価値は大きさではない。
しかし、この狭さが大きな作品を疎外している事実は否めない。
ここは、根本的に現代美術の生息場所ではない。
しかも、入場制限とは、言語道断ではないか。
コンテンポラリー・アートの生命はすべての人達にいつでも自由に参加してもらう事で息づく。
日本の若手がこれでは困る。
ツァイト・フォト
石原
同時に上海や北京で開催されるアート・フェアにも毎年参加している。
そんな中、先日、私は日本国内で評判の高いアート・フェアに行ってきた。
若手のアートディーラー達が、東京、神楽坂のホテルを貸し切って、
1階から5階の30部屋ほどのスペースに、
国内の力ある画廊が自分のところのアーティストの作品を持ち寄って販売するというものだ。
アイデアが個性的なことが話題となって大勢の人達が会場に押し寄せた。
私も知人に誘われて作品を捜しに出掛けたというわけである。
ホテルの廊下や小部屋は見物人でいっぱいだった。
でも、あまりに狭すぎて大きな作品は飾れない。
ベッドの上に置ける作品のサイズはたかが知れている。
また、午後になると入場券は売り切れて、入りたくても断られる。
斬新な試みで作戦勝ちということは出来る。
しかしである。
私が毎月出掛けている中国作家のアトリエに比べると、
10分の1、いや、100分の1以下の狭さだ。
今や、世界で活躍するアーティストの作品の巨大化はとどまるところを知らず、
中国に限らず世界基準の作品サイズは数メートル級となっている。
もちろん、作品の価値は大きさではない。
しかし、この狭さが大きな作品を疎外している事実は否めない。
ここは、根本的に現代美術の生息場所ではない。
しかも、入場制限とは、言語道断ではないか。
コンテンポラリー・アートの生命はすべての人達にいつでも自由に参加してもらう事で息づく。
日本の若手がこれでは困る。
ツァイト・フォト
石原
11/02/2007
上海グラント
7/21/2007
85/05 幻のつくば写真美術館からの20年展
2005年に、仙台メディアテークにて開催された『85/05 幻のつくば写真美術館からの20年展』の
詳細をアップしました。
この展覧会は、1985年3月に国際科学技術博覧会(科学万博ーつくば`85)の開催に合わせ、写真表現の全体像を体系的に紹介する『つくば写真美術館`85』(`85/03/09ー09/16)の回顧展です。
当時としてはめずらしい大規模な写真だけの美術館であり、その中でも、飯沢耕太郎、伊藤俊治、金子隆一、谷口雅、平木収、横江文憲という6人の若手キュレターによって企画された展覧会『パリ・ニューヨーク・東京』は、今でもたくさんの写真の展覧会へ大きな影響を与えています!
ホームページでは、その一部のみの紹介になってしまいますが、石原のテキスト『あるコレクターの夢』の全文を掲載しています。
詳細をアップしました。
この展覧会は、1985年3月に国際科学技術博覧会(科学万博ーつくば`85)の開催に合わせ、写真表現の全体像を体系的に紹介する『つくば写真美術館`85』(`85/03/09ー09/16)の回顧展です。
当時としてはめずらしい大規模な写真だけの美術館であり、その中でも、飯沢耕太郎、伊藤俊治、金子隆一、谷口雅、平木収、横江文憲という6人の若手キュレターによって企画された展覧会『パリ・ニューヨーク・東京』は、今でもたくさんの写真の展覧会へ大きな影響を与えています!
ホームページでは、その一部のみの紹介になってしまいますが、石原のテキスト『あるコレクターの夢』の全文を掲載しています。
7/12/2007
4/04/2007
色々な芸術家に出会った話
1972年1月、場所はパリのプティパレ美術館。ターナーの作品「雨、蒸気、スピード、鉄道」の前であった。私はそこで突然、知人に出会った。瞬間、驚きとなつかしさが私をおそった。私は傍らにいた上品な婦人に覚えたてのドイツ語で「貴方とごいっしょの紳士は、ピアニストのウィルベル・ケンプ氏ではないでしょうか?」と尋ねた。「ええ、その通りです。あなたは日本の方ですか?」まったくの偶然であった。
その昔、叔父の買ったSPレコードの中に、ケンプの弾いたベートーベンのハンマーグラビアソナタがあった。私は、このポリドール社製のレコードを何十回も聴いては、若き日のこの巨匠のベートーベンの表現にすっかり魂を奪われていた。晩年、幾度となく来日してはケンプはベートーベンを弾いた。しかし、すでに昔日の面影はなく、力の衰えのみが耳に残った。それとは正反対に戦前のこのレコードに収められているハンマーグラビアソナタは筆舌に尽くしがたい調べに満ちた、宝物であった。キラキラしていた。
このレコードを聴いた私は、それ以来65歳になった現在までクラシック音楽を愛し続けている。ケンプ自身も「あのレコードは自分の中でも最もすばらしいものですよ。」と言った言葉はいまでも強く私の心に焼き付いている。
ツァイト・フォト
石原
その昔、叔父の買ったSPレコードの中に、ケンプの弾いたベートーベンのハンマーグラビアソナタがあった。私は、このポリドール社製のレコードを何十回も聴いては、若き日のこの巨匠のベートーベンの表現にすっかり魂を奪われていた。晩年、幾度となく来日してはケンプはベートーベンを弾いた。しかし、すでに昔日の面影はなく、力の衰えのみが耳に残った。それとは正反対に戦前のこのレコードに収められているハンマーグラビアソナタは筆舌に尽くしがたい調べに満ちた、宝物であった。キラキラしていた。
このレコードを聴いた私は、それ以来65歳になった現在までクラシック音楽を愛し続けている。ケンプ自身も「あのレコードは自分の中でも最もすばらしいものですよ。」と言った言葉はいまでも強く私の心に焼き付いている。
ツァイト・フォト
石原
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