7/08/2009

絵空事!されど我等が愛、もっと美術館に行こう

①ネオテニー・ジャパンー高橋コレクション(上野の森美術館)
②中国現代美術との出会い(栃木県立美術館)

①の高橋コレクション展(幼形成熟)を二回見た。
氏は、空白の十二年間(公的機関のコレクションが、殆どなかった時期)に、一人で膨大な日本の若手作家のコレクションを作った人だ!
でも、この収集作業は、氏一人ではなく、評論家や画商の力を合わせて、なされたものと推察された。
②の中国現代美術のコレクションは、偶然にも同時期になされているが、それはギャラリスト一人の目でなされたものだ。上海、北京、重慶、広東などのギャラリーや作家のアトリエを一つ一つめぐって、買い集めている。
日本と中国は、この数十年間をとってみても、その芸術史の展開が、色々な意味で異なっているので、この二者の収集作品の比較論は、あまり意味がない。
高橋氏は、精神科医らしく、一点一点に埋没する事なく、冷静にコレクションしている。
それに対して、②のギャラリストは、約四十年間の欧州でのコレクションの体験から、作品一点一点に、強い思い入れをもって、収集に臨んでいる。バトミントンの試合が出来る様な中国作家の広大なアトリエを訪問して、多数の作品から、自分が惚れ込んだ巨大なタブローを選び出すことが、快楽なのである。
私が高橋コレクションの主要作品から感じた事は、みんな絵が上手で、独特のテクニックをもっているという事、例えば会田誠などが、その代表である。これを、同行したフランスの評論家は、デカダンと言ったが、日本には、退廃美という言葉が示すように、完成度が高ければ、これらを受け入れる事は、やぶさかではない。
それに比べれば、中国の作品は、とにかく大きく、アッケラカンとしている。
その最終的評価は、時間が決めてくれるだろう。日本と異なり、モダニズムを体験しなかった中国作家達は皆、各々の方法で、その空間を埋めたり、又は混乱を生じさせている事も興味深い。

ついでに、ルーブル美術館展(大阪国立国際美術館)と19世紀フランス絵画展(横浜美術館)について一言。
前者は、ルーブルにやられた。内容は乏しく、ルーブルという名前を巧みに使って、客を動員させたもの。
内容的には、横浜美術館の19世紀フランス絵画展の方が、断然充実しており、是非足を運ぶことをすすめます。
保守派と革新派の対立構図の中に、フランス19世紀を浮き彫りにする企画力が、魅力的である。


会田誠 大山椒魚 2003 / 高橋コレクション

馬六明 Baby '98 No.9 1998 / ツァイト・フォト コレクション

1 件のコメント:

Lionel Messi さんのコメント...

Gooooooooooooooood
Thank you
The subject of more than wonderful