2/17/2010

上海の夜景

旧いホテル、和平飯店の屋上レストランで食事を取りながら見渡すバント周辺の夜景、1930年代から東洋のメガロポリスであったこの地区の威容ある光景は夜になると事さら輝きを増し、Bestだと思っていた。しかしつい先日、上海美術館で日野之彦展の春節オープニングを終え、アーティスト諸君を囲んでマリオット39階の夕食のテーブルについた時に窓から見下ろした最新の上海夜景。霧で頭の部分が隠れた前衛的な高層ビルや、そのはるか下に展開するブルーのイルミネーションで光る高速道路とメダカの様に行き交う自動車群。1日の労働の疲れを取り去ってくれるこの幻想的な夜景。

東京はアッという間に追い抜かれてしまった。

それにしても上海中の美術館が春節のしょっぱなから一斉に個性的な企画展を始めている事も驚きをもって脱帽。



上海美術館での日野之彦展 2月9日         石水美冬撮影



12/25/2009

印象的な2つの写真展+α素晴らしかった2つの展覧会

この秋見た多数の写真展の中で ①安斎重男展と ②杉本博司展は突出して印象的だった。

① 安斎が40年近くかけて撮り続けた内外のアーティスト達を対象とした作品が多摩美の図書館や美術館で数百点展示された。

ひとつの主題を撮り続けた氏の作品群がこんな形で一堂に展示されると、永年かけてこの仕事に一途に懸けた安斎重男の世界が見事にうき上がる。

数百人に及ぶアーティスト達のもつエネルギーと、かくも長きに渡ってそれを継続した安斎の執拗性が今や年代物のワインの様にたまらない香りを放つ。

② 杉本のここ数年の仕事はイメージを含んだ物質としての写真を氏の美学で並べ変えるという行為のように思う。宇宙から飛んで来た隕石や歴史の中の古美術や行為(能)など。氏の美学で並べ変えるという独創性(奇行)によって成立している。

安斎のアーティストドキュメントという写真の用い方が写真の属性の中に収まるのとは対照的に、杉本はタルボットのネガを高価な価格で自ら買い取り、オマージュ“タルボット”を創り出している。特殊な製作技法も発明家タルボットの遺産を相続している。

静岡県の三島からタクシーで3千円かけて入った山里の美術館(IZU Photo Museum)のオープニングで本人の説明を聞きながら作品を見ていると、彼の様な人物は日本の写真界からは2度と出ない異端者の様に思われ、私の抵抗感も消失していく。


P.S, それから数日後、荒木経惟から一冊の写真集が署名入りで届いた。“東京ゼンリツセンガン”。本人が対決している病気のタイトルである。しかし、そのページをめくるといつも以上に氏の体臭を感じる映像の数々、誰よりも生きている人間を自由に撮りまくっている。この国の写真は安斎、杉本そしてアラーキーのような人達が中核にいるので活々とした生命力を持ち続けているのだと思う。


10/01/2009

魔王

先日、雨の中、郊外の家路に向かう私の耳に、エルケーニッヒ(魔王)の歌が聞こえた。近くの音大の学生だろうか。久し振りに耳にする、そのシューベルトの曲に、全身が震えた。
このゲーテの詩は、不吉、不安、闇、そして恐怖で満たされているにも関わらず、聴く者の魂を根底から揺さぶる。
何故だろう?
自然の摂理と人間社会(政治や経済)の、矛盾と亀裂の中から、突如として発火して燃え上がる、この煌めき。
私は、思った。
これこそ、芸術の原点ではないだろうか?

いま、コンテンポラリーアートにたずさわっている作家、評論家、学芸員、美術商、そして収集家で、こんな煌めきを体験できる人は、幸いである。

追伸 :
このブログを書いている時、日本の代表的バリトン、中山悌一の訃報が入った。
この曲を歌う氏の事を、私は印象的に記憶している。


© He Min(フーミン)
「左岸」175×210 cm


賀敏 作品展 『它城 Off City』
2009年10月2日(金)〜10月27日(火) 日・月・祝日休廊
開廊時間:10:30〜18:30(土〜17:30)


9/12/2009

芸術の秋は来た!

リーマンショックや、経済の自己調整作用が、アジアの国々に暗い影をおとしている時でも、芸術の秋はやって来た。

200の展覧会が、一斉に花開く上海に行った。すでに、10年以上前に出来た、ここの芸術家集団村(モーガンシャンルー)では、9月6日に300人以上の芸術愛好者達がアトリエやギャラリーに集まり、深夜まで芸術論を愉しんだ。写真の展示スペースも、この1〜2年に急増した。

なお、私の目に止まったのは、若手のアーティストで組織されている中国抽象画家集団のグループ展であった。丁乙、陳、それに上海美術館館長の李磊等の作品は、全て快かった。固い感じもするが、完成度は高い。

今回、私が上海に出掛けた最大の目的は、この秋、新設された芸術地域に創立した、民生美術館のオープニング出席である。これは、若い銀行の頭取が建てた現代美術館で、その副館長は友人の画家、周鉄海が務めることになった。氏は、中国のみならず、日本や韓国に知人も多く、作品を収集するのは最適な人材なのだ。無機質なコンクリート打ちっ放しの空間に作品が点々と置いてある。オノデラユキや小野裕次、それとアキ・ルミの作品も展示されていた。

内部に泥水を満杯にした、サビた大きなバンが乗り入れられて放置されていたが、それも中国若手による作品だった。その傾め前のニューギャラリーでは、日中の3人展があり、準備中である。しかし、あまり多数の作品が一斉に上海税関に集まったので、通過に時間がかかり、オープニングに間に合わないとか・・・。ここいらが、中国の行政の後進性だが、それを嘆いても仕様がない。山脇紘資という若手画家は急遽、ギャラリーの壁面を使って、大作の油彩画を描いた。2日間の徹夜仕事だ。

先週、私は、安斎重男写真展が開催されていた上海美術館を尋ねると、主任から呼び止められ、同展が、北京にある中国美術館(国立)にも巡回する事になった事を聞かされた。北京の館長が同展を、えらく気に入ったためだと言う。安斎の主題〝世界現代美術の巨匠達〟が、いまの中国の現代美術界にとって、good timing だったのであろう。

次の日、最初に、ツァイト・フォトのオフィスがあった、モーガンシャンルーのカフェにコーヒーを飲むため立ち寄った。2人の旧友(アーティスト)に会った。
張恩利と丁乙だ。
12年前、彼等の作品をここで買った時、2人ともリアカーに画材をつんで来てアトリエに入り、そこで作品を制作していたのだが、いまはポルシェとBMWを使っていた。作品が順調に売れ始め、金持ちになったのだろう。
でも、彼等は12年前と同様、否や、それ以上に真剣に作品制作にせっせと取り組んでいた。
流行作家が冒す過ち、即ち自分の人気テーマを何年も繰り返すということなく、作品を前に進めている。退廃がない!ブラボー。
彼等の作品をディーリングしているのは、スイス国籍のロレンツだ。彼もよく働いている。
中国人の良きギャラリストが出るのも、それ程時間がかからないだろう。

終わりになったが、東京・六本木で開催された、我が国で最初のフォトフェアー " TOKYO PHOTO 2009 "について、少し書いてみたい。
若い原田という門外漢が着想したこの企画は、最初は多くの問題があり、従来のフォトギャラリーからは、敬遠された。僕も、アドバイスはしたものの、参加は躊躇した。
しかし、直前になって、参加を決めた。若い世代が情熱をもってする企画には、寛大であるべきだ、と考えたからだ。いざ、フタを開けてみると、初日から予想以上に多い Visitor が会場に足を運んだ。若手が多い。六本木という地のりも幸いした。
彼等は、作品のコレクターというより、知的でファッショナブルな観覧者だ。

30年以上、写真のディーラーとして動いている私には、これ程沢山の若い人達が、興味をもって、作品に見入っている事は、感無量であった。日本の写真家も、この数年、欧米やアジアにおいて、高い評価を得る人達が増えて来た。スケールのあるコレクターも、少数ではあるが出て来た。
今回の、フォトフェアーでは、実売は予想を下回ったが、こんなに多くの若い人達が、会場に足を運んでくれた事を考えれば、大成功である。
ローマは、一日にして成らずである。

ツァイト・フォト
石原


上海新芸術地区での三人展

© Yuichi HIGASHIONNA

© He Jie

© Kosuke YAMAWAKI

© Zhou Tiehai

© Aki LUMI

© Yuji ONO

8/18/2009

ギャラリストのお盆休み

お盆休みだというのに、美術館や展覧会をまわった。

国立近美で見たゴーギャン展。
彼は34歳で、株でお金を儲け、画家に転業した。
その数年間、初期の作品の美しい事。高名な印象派の作品でさえ比類出来ない程美しい。晩年の大作「我々はどこから来たのか」は、画面が暗くてテーマも懐疑的で、私には楽しめなかった。

横浜美19世紀フランス展は、土曜日なのに大混雑していた。
若い人達は皆メモをとっている。皆、将来絵描きになるのではないだろうが、若い時にこんな芸術体験はとても貴重だ。思い出すには僕が中学生の時、鎌倉近美が出来て、そこにヨーロッパの若い作家の展覧会を見に行ったのは、本当に心が高鳴った。

また、都内で偶然に立ち寄った東日本橋の画廊で、若い作家の作品が気に入って、100号を求めた。お盆休みが私にくれた幸運である。

それからもうひとつ、友人から、若いピアニストの演奏会につき合わされた。
モーツァルト、ベートーベンの作品がメインプロであったが、氏のピアノは、かつての輝きを失って、演奏自体がグニャグニャに響いた。

この時私は、パリで聴いた内田光子のモーツァルトの演奏の、あの大きな感動を思い浮かべた。
彼女は、日本で演奏会を開いても、それが終わるとすぐに英国に戻ってしまう。

やはり、洋楽というのは、個人と個人が対立するような精神的風土がないと、維持出来ないものなのであろうか。芸術は厳しい。

8/05/2009

東川町フォトフェスタ25周年展

8月1日に、北海道の東川町フォトフェスタが25年を迎えた。主催者側の努力が最大の理由だが、それに関係する若い審査員達が有能であったから、こんな永い間続いているのだと思う。

今回、私は柴田敏雄の受賞もあって参加したのだが、若い町長も運営スタッフも実に誠実かつ熱心である。

1986年に国内作家賞を受賞した篠山紀信さんと会場でお会いした時、
"この会もあと何年続くだろう? 2年か5年続けば良い方だな"
などという、悪い冗談を言い合ったものだ。

国内作家賞というのは、植田正治、杉本博司、そして今回の柴田敏雄でも、作家自らの実力で既にグローバルな地位を築き上げている写真家達への追認的行為もあって、これは誰でも異議のない事と思うが、私が興味があるのは、新人作家賞を受賞した人達が今現在、どんな形で活躍しているかという事だ。

佐藤時啓、松江泰治、オノデラユキ、金村修達の息の長い活躍振りをみると、フォトフェスタの選考が、合格点をとっていた事が判る。

東川町の写真祭に続いて、最近では全国各地で写真コンクールが増えてきた。東川町の精神を受け継いで欲しいと願うのは、私だけではあるまい。



© Toshio SHIBATA

© Yuki ONODERA

© Tokihiro SATO

「時代の相対性」への反論

前回のこのテーマに関して異議を受けた。

それは”1930年オタク”にならず、今の若い演奏家の実演にもっと耳を傾けろと云うのだ。少し複雑な気持ちだ。

私としても精一杯生演奏を聴いている。特にドイツやフランスで仕事していた時は、一生懸命になってチケットを入手した。ズイトナー(ベルリン国立歌劇場オーケストラ)、アバド(ベルリン・フィル)、そして少し古いところではヴァント(西南ドイツ)だ。

例の三羽ガラス、バレンボイム、アシュケナージ、インバルも度々足を運んだ。インバルなど、ケルンから東京までルフトハンザの隣席にいて、マーラーのNO.5の話を拝聴し、そして語り合った。(日本で読売交響楽団を指揮して同曲をプログラムにあげた。)
しかし、彼等の演奏にはズイトナーやアバド、そしてヴァント等の演奏で体験したクラッシックを聴く事の至福感はなかった。

まして現在の若手(特に日本)諸君のオーケストラ指揮は退屈だ。やたらと丁寧だったり又は反対にスポーツマンの様だったりして!!

作品の誕生した時代との距離が、彼等の演奏を無味乾燥にしてしまったのだろうか?
その点、小澤征爾などは日本人としては傑出した指揮者であったと思う。
パリや東京で彼の音楽会に度々足を運んだ時、どの演奏も心から楽しめた。

こんなこともあって、私は1930年代を心から愛し、その忠実な再現から芸術心を今も学んでいるのだ。