8/05/2009

「時代の相対性」への反論

前回のこのテーマに関して異議を受けた。

それは”1930年オタク”にならず、今の若い演奏家の実演にもっと耳を傾けろと云うのだ。少し複雑な気持ちだ。

私としても精一杯生演奏を聴いている。特にドイツやフランスで仕事していた時は、一生懸命になってチケットを入手した。ズイトナー(ベルリン国立歌劇場オーケストラ)、アバド(ベルリン・フィル)、そして少し古いところではヴァント(西南ドイツ)だ。

例の三羽ガラス、バレンボイム、アシュケナージ、インバルも度々足を運んだ。インバルなど、ケルンから東京までルフトハンザの隣席にいて、マーラーのNO.5の話を拝聴し、そして語り合った。(日本で読売交響楽団を指揮して同曲をプログラムにあげた。)
しかし、彼等の演奏にはズイトナーやアバド、そしてヴァント等の演奏で体験したクラッシックを聴く事の至福感はなかった。

まして現在の若手(特に日本)諸君のオーケストラ指揮は退屈だ。やたらと丁寧だったり又は反対にスポーツマンの様だったりして!!

作品の誕生した時代との距離が、彼等の演奏を無味乾燥にしてしまったのだろうか?
その点、小澤征爾などは日本人としては傑出した指揮者であったと思う。
パリや東京で彼の音楽会に度々足を運んだ時、どの演奏も心から楽しめた。

こんなこともあって、私は1930年代を心から愛し、その忠実な再現から芸術心を今も学んでいるのだ。

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